尾久のディープな歴史と現在|温泉街の栄華と静かな住宅地の裏側

尾久のディープな歴史と知られざる一面:温泉街の栄枯盛衰と静かな住宅街の裏側

東京都荒川区にある「尾久」というエリア。現在では静かな住宅街として知られるこの地域ですが、その歴史を辿ると驚くべき変遷をたどっています。かつては温泉と遊興の地として栄え、ある事件の舞台となり、さらに高度成長期には工業化に伴う変化を迎えました。尾久の知られざる過去と現代のリアルを掘り下げ、ディープな一面に迫ります。


1. 尾久の温泉街としての繁栄と「阿部定事件

尾久が注目され始めたのは、大正3年に「尾久温泉」としてラジウム鉱泉が発見されたことがきっかけでした。この発見により、温泉を求めて多くの人が集まり、尾久は東京でも有数の遊興地として発展。温泉街には、料理屋、芸妓屋、待合などが揃い、花街として栄えました。

そんな尾久がさらに注目を集めたのが、1936年に起きた「阿部定事件」です。この事件が発生すると、物見遊山で訪れる観光客が急増し、一時は人で賑わいました。事件の残酷な背景と猟奇的な内容が人々の好奇心を掻き立て、尾久は一躍"注目の地"となりました。現在では静かさが広がる尾久ですが、この土地にはかつての「花街」としての歴史、さらにはスキャンダラスな過去が色濃く残っているのです。


2. 温泉街の衰退と工業化、そして静寂への変遷

尾久温泉はかつての賑わいを取り戻すことができませんでした。高度経済成長期に工場が地下水を大量に汲み上げたことで温泉が枯渇し、温泉街としての機能を失った尾久は徐々に寂れていきました。また、工場が郊外に移転することで、大口顧客も減少。商業施設や飲食店も減り、華やかな花街としての姿は完全に過去のものとなりました。

その後、尾久は静かな住宅地へと変わり、都電荒川線沿いには商店街ができ、生活利便性は向上しましたが、かつての温泉街の活気とは対照的な、落ち着いた雰囲気が広がっています。いまも地元住民たちは、尾久が過去に遊興地として栄えた時代があったことを少し懐かしむ一方で、ディープな歴史に触れるのをどこかためらっているようです。


3. 治安が良好な住宅地としての現在

現在の尾久は、都内でも有数の安全な地域として知られ、荒川区内でも特に犯罪発生件数が少ない地域です。2018年には年間で10件未満と非常に治安が良好で、日暮里や町屋といった他の荒川区のエリアと比べても、その安全性が際立っています。

しかし、治安が良い反面、街灯が少なく夜道が暗いため、夜になると少し不安を感じる人もいるでしょう。かつての温泉街の華やかさとは対照的に、現在の尾久は安全で静かな住宅地としての性格が強く、昼と夜で全く異なる雰囲気が広がっています。


4. 商店街と昔ながらの生活密着型の風景

尾久の街を歩くと、都電荒川線沿いに「はっぴいもーる熊野前商店街」や「おぐぎんざ商店街」が並んでおり、昔ながらの商店が集まる風景が見られます。この商店街は高齢者や地域住民の生活を支える重要な場所であり、生活必需品を扱う店舗が多く、近隣住民にとっては便利なエリアです。

尾久はまた、他の地域には少ない福祉施設や区民会館が集まり、高齢化が進む中で住みやすい環境が整っています。一方で、若者向けの娯楽施設や飲食店が少ないため、日中の活気に対し夜間は静まり返り、尾久が「高齢者の街」としての印象を強めています。


5. 尾久の土地価格と災害リスク

尾久は、文京区や豊島区といった隣接地域に比べて地価が安価であり、坪単価199万円と、都内では比較的手頃な価格帯となっています。これは、かつて農村地帯として発展が遅れ、温泉街や工業化を経て住宅地に転じた複雑な歴史が要因とされています。

さらに、尾久は隅田川に近いため、災害時の水害リスクも高く、荒川区内でも浸水被害のリスクがあるエリアとして位置付けられています。地価が抑えられているのも、この水害リスクが影響していると言えるでしょう。静かな住宅街でありながら、災害リスクを抱えた土地という一面も尾久のリアルな姿なのです。


尾久という街の奥深さを知る

尾久は、かつての温泉街としての賑わい、衰退、そして静かな住宅街への変貌という変遷を辿ってきた街です。かつての花街としての華やかな時代や阿部定事件というスキャンダラスな過去、そして工業地帯としての面影がどこかに残りながらも、今では穏やかな日常が広がる尾久の街。

尾久の表向きの静けさの中には、時代を超えて人々を引き寄せる「ディープな歴史」が静かに息づいています。もし、このディープな一面に興味が湧いたなら、ぜひ一度尾久を訪れてみてください。商店街を歩き、隅田川沿いを散策しながら、静かに流れる時間の中にかつての繁栄と衰退を感じられるかもしれません。